新家商会~新家自転車製造㈱
石川県の加賀の山村で漆器の製造・販売問屋を営んでいた初代熊吉は、明治36年5月「新家商会」を設立し、当時輸入に依存していた自転車用の木製リムの製造を開始しました。リムの主流が木製から鉄製に変わりつつある頃、いち早く鉄製リムの製造に着手し、国内初の内製化に成功した初代熊吉は、大正8年11月「新家自転車製造㈱」を設立しました。
会社情報
石川県の加賀の山村で漆器の製造・販売問屋を営んでいた初代熊吉は、明治36年5月「新家商会」を設立し、当時輸入に依存していた自転車用の木製リムの製造を開始しました。リムの主流が木製から鉄製に変わりつつある頃、いち早く鉄製リムの製造に着手し、国内初の内製化に成功した初代熊吉は、大正8年11月「新家自転車製造㈱」を設立しました。
昭和8年当時、自転車の国産化が進む中において、チェーンの国産化は遅れている状況でありました。そこで、既にリムで成功を収めていた二代目熊吉(三代次)は高性能チェーンの製造を決意し、国産化気運が高まる日本の「国益に沿った事業展開を行う」べく、同年5月25日、当社の前身である「国益チエン㈱」を設立しました。
国益チエン㈱の創業後は、他のチェーンメーカーとのシェア争奪による価格競争で、チェーン市場は空前の混乱状態となり、業界全体が疲弊していました。このような状況下で、市場を安定させることを目的に、国益チエン㈱を存続会社として、朝日チヱン㈱、加賀チヱイン㈱の三社が合併し、昭和10年5月10日「大同チエン㈱」を発足しました。その由来は、「大同団結※によって輪界をリードする」意味をこめて「大同」の名を冠しました。
※ いくつかの団体などが、共通の目的に向かって、小さな意見の違いを超えて一つにまとまること
大同チエン㈱の創業後は、積極的な設備投資と生産技術の進歩により、チェーン市場における地位を確固たるものにしたが、折しも戦時中の日本においては、自転車を含む"不急不要"の産業に対して資金が流れにくくなる経済統制がなされた。こうした情勢に対応すべく、大同チエン㈱も工作機械の製造と鋳造工場の創始という経営の多角化に踏み出し、昭和13年12月23日「大同工業株式会社」へと社名を改め、現在に至っている。